ある有名人の娘の事故死に考える

10歳の女の子が交通事故で亡くなりました。

痛々しい報道が続いています。

こういうのって運命なんですかね。

いくら交通ルールを守っていても、周りをしっかりと見ていても、

事故にあう人は事故にあってしまう。

ボーっと歩いていても、携帯電話を操作しながら歩いていても、

事故にあわない人は事故にあわない。

だからと言って、気をつけて歩かないでいいかというと、もちろん

そうではない。

健康のためを考えて、毎日欠かさずジョギングをしていた人が事故

で亡くなったり、心臓発作で亡くなったりするのは、見るに忍びない。

人生は何があるか分からない。

どんな出来事が待っているか分からない。

真面目に生きていれば不幸が降りかからないとも限らない。

不真面目に生きている人のほうがたくましかったりするケースもある。

人生という名のピッチャーが投げるボールを、バッターである我々が

コントロールする事はできない。

カーブであっても、ストレートであっても、チェンジアップであっても、

打てるように、色んなボールに慣れておくことが必要なんだなと、

つくづく思う。その為には良い出来事も、悪い出来事も共に経験しておく

必要がある。

人はもっと反省し、もっとこの悲劇から学習し、改めなければならない。

その為には、報道関係者は、番組の作りを考慮していただきたいと思う。

  • SBJ

    人生とは不条理なものです。

    親御さんの無念は察するに余るものがありますが、この手の事件は常にそうですが「なんでウチの子が」と言われても、残念ですがこればっかりは説明のしようがありません。
    「そういう運命だった」とでもしか言いようがないのではないでしょうか。
    (自分が親の立場だったらとてもそんな冷静な気持ちではいられないでしょうが)

    「悪い奴ほどよく生きる」じゃないですが、京都市の同和職員みたいに利権に守られて血税でのうのうと生きている悪党がいる一方で、世界では飢えや貧困で何の罪もない子供が毎日3万人以上、時間に換算すると3秒に1人の割合で死んでいます。

    真面目に生きたから、一生懸命生きたからといって、必ず報われるとは限りません。

    不謹慎な例えかもしれませんが、麻雀やってる人ならその辺よく分かるでしょう。
    バラバラな配牌からコツコツと辛抱強く手を育て、漸く三面待ちに仕上げて自信の満貫確定リーチが、場に二枚切れのカンチャンクソ待ちリーチに競り負ける、なんて経験はしょっちゅうです。
    人生だってそんなもんです。世の中不条理に出来ているのです。

    しかし、だからといって適当にやればいいというものでもありません。
    麻雀で「きちんと手作りしたって負けるときは負けるんだから、手作りなんて適当だよ」なんていう人間は、長い目で見れば決して勝ち組になることはできません。

    努力すれば必ず成功するわけではない。
    しかし努力すること無しに成功した人間などいないというのもまた事実なのです。
    努力は成功の必要条件ではあるけれど、十分条件ではない、というだけの話です。

    人生においても「人生とは不条理なものであるという理解を根底に持ちつつも、それでも真面目にコツコツ正しく生きる」、それが人間らしい生き方なのではないでしょうか。

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