Twitter 日本語版スタート

本家本元が日本で本腰入れてきました。

メニューは日本語化されていますが、

インターフェースはほぼそのまま。

このデザインがどれだけ受け入れられるのでしょうか。。。

日本向けのデザインは別にすればよかったのに。

公開つぶやきが直近20件しか見れないようになっているのは、

最近こうなったのでしょうかね?

昔はページ送りがあったような気がするのですが・・・

Twitter が今後どれだけ日本で浸透していくんでしょうね~。

(懐疑的)

SNS とコミュニケーションのあり方

いまだに、SNS と聞くと「日記」とか「コミュニティ」とか

「友達」などを連想されるだろうか。

既に時代は「はい、ここにコミュニティがあるからみんな集まって」

では集まらないところまで来ている。

なぜならば、その方式では、ユーザはお互いを駆り立て続けなけれ

ばならないから。長期的にはしんどい。

よって、もっと楽に駆り立ててくれるコンテンツがある場所へと流れていく。

それが CGM 時代のネットの自然の摂理に思える。

コミュニケーションをする場の提供で魅了できていたのは、PC を使って

他人とコミュニケーションが図れる事そのものに感動できた層まで。

コミュニケーションツールを一式用意しただけでは、それ以外の層

には見向きもされないのである。

多少逆説的ではあるが、SNS はコミュニケーション以外の部分に

魅力を持たねば、人はもはや集まらない。

端的に言えば、ゲームなどを餌にしてユーザに集まってもらう。

集まってゲームをしていると、裏技やスゴ技などの情報を交換したく

なってくる。対戦ゲームなどでは、ライバル心が芽生えてくる。

いわば、そうしたコミュニケーションを図る理由がそもそも存在しないと

成立しなくなっている。

ニコニコ動画なども全く同様の事が言える。

動画というコミュニケーションのネタがあるからこそ成立している。

ニュースなど、「一言物申す!」と言いたくなるような、常に新しい情報

が流れゆくメディアをネタにする手もあるだろう。

自分が歌った楽曲を公開する、なんて変わったタイプのものもある。

人間はどんな小さな事にでも感動したら、それを他人と共有したくなる

性質である事をうまく利用している。

そんな中、変化球なのは Twitter をはじめとするミニブログの存在だ。

あれこそまさに、「人そのものの『存在』がコンテンツと化している」

CGM の究極の姿だといえる。ブログはしんどい。書くことが無い。という

ユーザたちでも、Twitter なら気が楽。自分の書く量も少なければ、

他人の書く量も少ない。中身が無ければいけない、というプレッシャー

は一切無い。自分の知人・友人のちょっとした一言が気になる。そういう

心理をうまくついて、コミュニケーションのネタとして再利用している。

まるでコミュニケーションのターボエンジンである。

・自分が熱中できるものが提供されており、

・それについてストレス無くコミュニケートする人と方法があり、

・その絆はゆるやかなものである。

そういう状態が、現代のユーザにマッチしているのだと思う。

そして、そういうコンテンツは、いついかなる場においても利用者主導

である携帯電話と実は相性が良いという事に気付いている人は

少なくないはずだ。